討鬼傳 極 全人物角色圖鑒一覽

29 8 月

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来源:d7vg

作者:sai8808

 

 1-20  

(ひみこ)卑弥呼
古代の政治家。邪馬台国の女王。倭国の大乱を鎮め、180年前後に即位。鬼道で政治を行った。高齢で独身だったという。魏に使いを送り、その属国となって金印を与えられている。


(いよ)壱与
古代の政治家。邪馬台国の女王・卑弥呼の親族でその後継者。曹操が建てた魏が、司馬一族の晋に取って代わられた翌年、晋に朝貢した。晋代に著された歴史書『三国志』にその名が見える。


(にみのすくね)野見宿禰
古代の政治家。出雲の勇者。相撲、柔術の祖といわれる。垂仁天皇のころ、当麻蹶速(たいまのけはや)という怪力無双の相撲の名手と相撲を取り、勝利。その褒賞として領地を賜った。


(たけのうちのすくね)武内宿禰
古代の政治家。蘇我氏など大和朝廷の豪族の祖先。景行天皇から仁徳天皇まで5代に渡り重臣として国政を支えた。ヤマトタケルの東征に先だって北陸、東国を視察し、蝦夷討伐を献策。


ヤマトタケル
古代の武将。景行天皇の子。倭建、日本武尊などと表記される。『古事記』によると、武勇に優れるあまり兄を殺して外征に追いやられたという。


イズモタケル
古代、出雲国の人。クマソタケルを討伐し都へ戻る途上のヤマトタケルの策によって殺害された。


クマソタケル
古代の人物。西国最強を自称した兄弟2人の呼称。カワカミタケルとも。ヤマトタケルの武勇を讃え「タケル」の名前を贈った。大和朝廷に反抗しヤマトタケルの討伐を受ける。


ヤマトヒメ
古代の皇女。第11代垂仁天皇と日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の娘。第10代崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)の後を継ぎ、杖代(みつえしろ)として天照大神に奉仕する。


オトタチバナヒメ
古代の女性。ヤマトタケルの妻。『常陸風土記』ではヤマトタケル天皇の皇后と記されている。ヤマトタケルの東征に同行。


(そとおりひめ)衣通姫
古代の伝説の女性。その美しさが衣を通して輝くことからその名がついた。絶世の美女で本朝三美人の一人に数えられる。


(しょうとくたいし)聖徳太子
飛鳥時代の政治家。用明天皇の子。名を厩戸皇子という。叔母・推古天皇の摂政となる。馬屋で生まれ、十人の話を一度に聞き分け、未来予知ができたという伝説を持つ。仏教に傾倒。


(そがのうまこ)蘇我馬子
飛鳥時代の政治家。大臣。蘇我氏は仏教受容を巡って反仏教派の物部氏、中臣氏と争ってきたが、皇位継承戦争で物部守屋を討ち、政争に勝利。


(とじこのいらつめ)刀自古郎女
古代の女性。父は蘇我馬子。母は物部守屋妹。聖徳太子の妃となり、山背大兄王らをもうけた。この山背大兄王は、のち刀自古の甥である蘇我入鹿と対立して暗殺され、聖徳太子の一族は滅ぼされてしまった。


(もののべのもりや)物部守屋
飛鳥時代の政治家。大連(大臣)。軍事氏族物部氏を率いた。仏教受容派の蘇我馬子と対立。折からの疫病を、国神をないがしろにし仏教を受容したせいだと弾劾。尼僧3人を全裸にして群衆の前で鞭打った。


(おののいもこ)小野妹子
大和時代の政治家。推古天皇の時代、聖徳太子より遣隋使に任じられる。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まる国書が煬帝の怒りを買ったが、大事には至らず帰国。


(なかのおおえのおうじ)中大兄皇子
飛鳥時代の政治家。のち即位して天智天皇となる。唐、新羅の攻勢に緊迫する朝鮮半島情勢を背景に、645年、時の権臣・蘇我入鹿を暗殺。中央集権化、国防強化を柱とした政策・大化の改新を推し進めた。


(なかとみのかまたり)中臣鎌足
大和時代末期の政治家。大和国にあった藤原という地で生まれた。出生時に白い狐が現れ鎌を足下に置いたことから、鎌子と名付けられたという。秀才として名高かった。


(そがのいるか)蘇我入鹿
飛鳥時代の政治家。蘇我宗家の家督を継ぎ、政敵を排除して国政を一手に掌握。天皇家を凌駕するほどの権勢を誇った。しかし、乙巳の変で中大兄皇子、中臣鎌足らに暗殺され、蘇我宗家は滅亡した。


(ぬかたのおおきみ)額田王
飛鳥時代の歌人。鏡王(かがみのおおきみ)の娘。天武天皇(大海人皇子)に寵愛され、十市皇女(とおちのひめみこ)を生んだ。のちに天武天皇の兄・天智天皇(中大兄皇子)の後宮に入ったとされる。


(かきのもとのひとまろ)柿本人麻呂
飛鳥時代の政治家。『万葉集』第一の歌人。「歌聖」と称される。格調高い歌風で枕詞を駆使し、140あまりある枕詞のうち半数ほどは彼がはじめて使用したものとされる。

 21-40  

(じょふく)徐福
中国の秦朝の頃の人。司馬遷の『史記』によれば、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と持ちかけ、資金援助を受けて東方へ船出し、平原広沢(広い平野と湿地、一説に日本とされる)を得て王となったとある。


(えんのおづぬ)役小角
飛鳥時代の思想家。修験道の開祖。神仏調和を唱え、のち神変大菩薩と諡され信仰を集めた。その生涯は伝説に彩られている。鬼神を操ることができ、左右に前鬼後鬼を従えていたという。


イザナギ
日本神話の男神。イザナミと結婚し、子として日本国土ほか様々な神をもうけた。イザナミが死ぬと、黄泉の国まで会いに行くが、イザナミを見てはならないという禁を破って彼女の怒りを買い、命からがら逃げ出す。


イザナミ
日本神話の女神。創造神、海神、製鉄の神。イザナギの妻で、共に日本列島などを形成する様々な神々を産み出すが、その途中、事故で死んでしまう。


アマテラス
日本神話の女神。太陽神。別名、オオヒルメノムチ。中世には男神とされたこともある。イザナギが黄泉から戻ってきてみそぎをしたときに、弟のツクヨミ、スサノオと共に生まれた。


ツクヨミ
日本神話の神。月と夜を統べる。『古事記』では、イザナギが死んだ妻・イザナミを取り戻そうと黄泉に入り、黄泉醜女に追われ逃げ帰った際、みそぎをしたときに右目から生まれたとされる。


スサノオ
日本神話の神。イザナギとイザナミの子。アマテラスやツクヨミの弟。出雲でヤマタノオロチを退治し、天叢雲剣を手に入れ、日本最初の和歌を詠んだ。また体毛からさまざまな樹木を創り出したという。


(いぬがみのみたすき)犬上御田鍬
飛鳥時代の政治家。名は三田耜とも書く。近江国犬上郡にゆかりのある豪族で、ヤマトタケルの子孫とされる。7世紀初頭、推古天皇の治世に、最後の遣隋使として隋に遣わされ百済の使者を伴って帰国した。


(あべのひらふ)阿倍比羅夫
飛鳥時代の武将。7世紀中ごろ、蝦夷討伐のため、180隻の軍船を率いて日本海を津軽などを経て北上。蝦夷を大和朝廷の傘下に収め、北海道に至る通商航路を開いた。


(うらしまたろう)浦島太郎
昔話に登場する人物。漁師。浜辺で助けた亀に、海底の竜宮城へ招待され、その主である乙姫と楽しく過ごすが、地上に戻ると長い年月が経っていた。


(やまのうえのおくら)山上憶良
奈良時代初期の政治家。歌人。遣唐使として唐に留学。のち筑前国の国司として赴任。そこで多くの歌を詠み、大伴旅人と共に筑紫歌壇を築いた。


(どうきょう)道鏡
奈良時代の政治家。法相宗の仏僧。孝謙上皇の病を治して、その寵愛を受ける。藤原仲麻呂の乱で、政敵・藤原仲麻呂が失脚し、孝謙上皇が称徳天皇として再び即位すると、法王として仏教的政策を推し進めた。


(がんじん)鑑真
奈良時代の仏僧。律宗の開祖。日本から来た僧の懇請を受けて日本渡航を決意。5度密航を試みるも、嵐や人材流出を危ぶんだ弟子たちの告発により失敗。6度目でついに念願の渡航を果たし、日本に戒壇を設置した。


(さかのうえのたむらまろ)坂上田村麻呂
平安時代初期の政治家。東北地方の蝦夷征服戦で活躍。歴代2番目の征夷大将軍に任じられた。後世、その武勇が伝説を生み、東北の鬼の王・悪路王を討ち取る物語が生まれた。


アテルイ
平安時代初期の武将。蝦夷の指導者。789年、陸奥北上川流域・日高見国胆沢で、征東大使・紀古佐美が率いる蝦夷への大規模侵攻軍を、少数の兵で翻弄して討ち破り、撤退に追い込んだ。


(くうかい)空海
平安時代初期の仏僧。死後贈られた弘法大師の諡号で有名。無名の学僧でありながら当天皇の護持僧であった最澄と並んで入唐。密教を日本に伝え、真言宗の開祖となり、平安仏教の流れを築いた。


(おののこまち)小野小町
平安時代初期の歌人。勅撰和歌集として編纂された『古今和歌集』の序文に、六歌仙の一人として挙げられている。来歴は不明だが、絶世の美女として逸話が残されている。


(きのつらゆき)紀貫之
平安時代前期の政治家。文才に優れ、歌人として有名。三十六歌仙に数えられる。醍醐天皇の勅命で日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』を編纂した。


(すがわらのみちざね)菅原道真
平安時代中期の政治家。学者。秀才で、当時藤原氏が独占していた政権に食い込み、政治を担った。遣唐使を廃止したことから、その後、国風文化という日本独自の文化が花開いた。


(たいらのまさかど)平将門
平安時代中期の武将。下総国出身。相続争いから平将門の乱を起こし、新皇を称して朝廷からの東国の独立を宣言。藤原秀郷らに討伐された。死後、京でさらし首にされたが、その首が関東を目指し飛び去ったという。

 41-60  

(ふじわらのすみとも)藤原純友
平安時代中期の武将。武芸に優れた下級貴族の出身。近畿から北九州にわたる瀬戸内海で海賊行為を働いた。同時期、東国で平将門が乱を起こしており、まとめて承平天慶の乱と呼ばれる。


(ふじわらのひでさと)藤原秀郷
平安時代中期の武将。下野国出身。武芸に優れ、説話では「俵藤太」の異名で知られる。朝廷に反抗し討伐対象にされていたが、平将門の乱鎮圧で功があり昇進、鎮守府将軍となる。


(あべのせいめい)安倍晴明
平安時代中期の陰陽師。藤原道長の信頼を得て安倍家は陰陽師の家としての地位を確立、その権威は明治時代まで続いた。母が白狐・葛の葉であったなど、神秘的な伝説を多く残す。


(あしやどうまん)芦屋道満
平安時代中期の陰陽家。播磨国出身。安倍晴明と並ぶ陰陽師で、そのライバル。時の権力者・藤原道長を呪詛するが、晴明に見破られて流刑となった。


(かものただゆき)賀茂忠行
平安時代中期の政治家。陰陽家。安倍晴明の師。菅原道真の献策で遣唐使が廃止され、唐から最新の技術を学べず衰退していた陰陽道を呪術として再構築し、陰陽寮で天文道、陰陽道、暦道を掌握、賀茂氏、安倍氏による独占を成し遂げた。


(せみまる)蝉丸
平安時代前期の芸術家。歌人。音楽家。生まれついて目が不自由であったことから逢坂関に庵を結んで隠棲していた。琵琶の名器「無名」の演奏者でもある。


(みなもとのひろまさ)源博雅
平安時代中期の政治家。醍醐天皇の第一皇子の長男だったが、父の早世により、臣籍に降下する。雅楽の名手。『長慶子』を作曲、年下の叔父である村上天皇の勅で『新撰楽譜』を選んだ。


(みなもとのよりみつ)源頼光
平安時代中期の武将。藤原道長に仕え、受領として各地の国司を歴任。財力を蓄え、清和源氏興隆の基礎を築いた。彼の弟・頼信の子孫には征夷大将軍となる源頼朝や源義経がいる。


(わたなべのつな)渡辺綱
平安時代中期の武将。先祖は光源氏のモデルとなった嵯峨源氏の源融。眉目秀麗な美男子であり、剛勇でも知られた。源頼光に仕え、坂田金時らと並んで頼光四天王に数えられ、その筆頭を務めた。


(さかたのきんとき)坂田金時
平安時代中期の武将。幼名を金太郎といい、山姥を母に、雷を父に生まれた。怪力を誇り足柄山で熊と相撲を取っていたことで有名。源頼光に仕え、頼光四天王の一人に名を連ねた。


(ふじわらのみちなが)藤原道長
平安時代中期の政治家。3人の娘を3人の天皇の皇后(中宮)とし、摂政として権力をほしいままにして摂関政治の絶頂期を築いた。豪胆な人物で、自分に反発した三条天皇を退位させたほど。


(むらさきしきぶ)紫式部
平安時代中期の女房。『源氏物語』の著者。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。漢学者で詩人でもある藤原為時を父に持ち、幼少より学才に優れていた。一条天皇の中宮・彰子に仕えた。


(せいしょうなごん)清少納言
平安時代中期の芸術家。文筆家。歌人。曽祖父は『古今和歌集』で有名な清原深養父。中宮定子(藤原道長の政敵の姉)に仕えて、その博学と才気煥発さで宮中に名を成した。随筆『枕草子』は日本三大随筆の一つである。


(いずみしきぶ)和泉式部
平安時代中期の歌人。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。越前守・大江雅致の娘。和泉守・橘道貞に嫁ぎ、共に和泉国に下る。のち、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕した。


(すずかごぜん)鈴鹿御前
平安時代の伝説上の女性。名は鈴鹿姫、立烏帽子(たてえぼし)とも。一般に、鈴鹿山に住んでいた美貌の鬼女とされる。伝承によって鈴鹿御前の立場は異なり、女盗賊や天女とされることもある。


(たきやしゃひめ)滝夜叉姫
平安時代中期の女性。平将門の娘で、元の名は五月姫。江戸時代の通俗史書『前太平記』に登場するが、モデルは将門の三女・如蔵尼とされる。


(ひかるげんじ)光源氏
『源氏物語』の主人公。桐壺帝の子として生まれるが、母は宮中の嫌がらせを受け早世。彼も後ろ盾がなかったため、臣籍に降下させられた。亡き母の面影を求め、女性遍歴を重ねつつ、宮中でのし上がっていく


(おおのやすまろ)太安万侶
奈良時代の政治家。8世紀初頭、元明天皇の命により、日本最古の歴史書『古事記』を編纂した。その後、日本最古の正史『日本書紀』の編纂にも関わったといわれる。


(さいちょう)最澄
平安時代初期の仏僧。渡唐して天台教学を修め、日本天台宗を開く。奈良の寺社勢力の政治的影響力を排除しようとしていた桓武天皇と協力。旧仏教が独占していた戒壇を比叡山に開き、僧になる道を別に作り上げようと尽力した。


(さいぎょう)西行
平安時代末期から鎌倉時代初期の芸術家。仏僧。歌人。武士だったが、友の死、あるいは失恋がきっかけで出家。隠棲と漂泊の旅の中寂寞に叙情を読み込んだ秀歌を多く残した。

 61-80  

(かぐやひめ)かぐや姫
奈良時代初期が舞台とされる日本最古の物語『竹取物語』の主人公。竹の中から9cmほどの大きさで誕生し、3カ月で妙齢の娘に成長した。大変美しく、常に発光していた。


(くずのは)葛の葉
伝説の狐。信太妻とも。平安時代初期の頃、森で猟師に追われていたところを男に助けられるが、男は猟師に怪我を負わされた。葛の葉は人間に化けて男を介抱してやり、やがて恋に落ちる。


(たいらのきよもり)平清盛
平安時代末期の政治家。伊勢平氏棟梁・平忠盛の子。白河法皇の寵姫・祇園女御の猶子となり、その力を背景に父の死後、平氏の棟梁となる。院政下の権力闘争である保元・平治の乱で急速に台頭。


(かものちょうめい)鴨長明
鎌倉時代初期の芸術家。随筆家、歌人。「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」で始まる随筆『方丈記』が有名。下鴨神社の禰宜の次男として生まれ、就職に失敗して隠棲。


(たいらののりつね)平教経
平安時代末期の武将。清盛の甥。「王城一の強弓精兵」と称された平家最強の武人。壇ノ浦の戦いでも義経を追い詰めるが八艘跳びで逃げられ三十人力の武者二人を道連れに抱いて入水、討死したという。


(たいらのあつもり)平敦盛
平安時代末期の武将。平清盛の甥。美少年にして笛の名手。「小枝」という名笛を持つ。平家没落の際、一ノ谷の合戦で敗走時、置き忘れた笛を取りに帰って討ち取られ、17歳で命を散らした。


(みなもとのよしつね)源義経
平安時代末期の武将。幼名は牛若丸。源氏棟梁の兄・源頼朝の代官として、西国平定、朝廷との折衝を担当した。戦略センスに優れており、近畿の武士を取り込んで木曽義仲を孤立させて粟津の戦いで破り、四国、西国の武士を取り込んで平家を孤立させ、壇ノ浦の戦いで滅ぼしている。


(べんけい)弁慶
平安時代末期の武将。僧兵。源義経と共に都落ちした家臣の中にその名が見える以外は一切が不明だが、後世、義経の忠臣として伝説化された。


(しずかごぜん)静御前
平安時代末期の女性。舞踏家。男装して巫女舞を舞う白拍子。日照りの際、静が舞うと黒雲がわいて雨が降り注いだため、時の法皇から「日本一」「神の子か」と言われている。


(みなもとのよりとも)源頼朝
平安時代末期から鎌倉時代初期の政治家。鎌倉幕府初代将軍。幼名は鬼武者。源氏の棟梁の家に生まれる。東国の支配者である征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開いた。


(ほうじょうまさこ)北条政子
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室。伊豆の豪族・北条時政の長女。頼朝の将軍在職中は御台所、死後に出家して尼御台と呼ばれた。後に後継者を迎えるが、実権は政子が握ったため、尼将軍と称された。


(きそよしなか)木曽義仲
平安時代末期の武将。源頼朝の従兄弟にあたる。眉目秀麗だが、振る舞いが粗暴だったという。平家十万の軍勢を討ち破り、ついには平家を京から追放した。


(ともえごぜん)巴御前
平安時代末期の女性。木曽義仲の妾。中原兼遠の娘、樋口兼光、今井兼平の妹であるという。武勇に秀でており「強弓精兵、一人当千の兵者」と評される。義仲に従って各地を転戦した。


(なすのよいち)那須与一
平安時代末期の武将。下野国の豪族。弓の名人。源平の戦いに源氏方で参戦。源義経の下で従軍する。屋島の合戦で、平家方が舟に掲げた扇の的を見事に射落としたことで有名。


(はたけやましげただ)畠山重忠
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。模範的で謹厳実直な「板東武士の鑑」。傲慢不遜な梶原景時と比べ「雲泥の差」と言われた。怪力でも知られ、源平の戦いで大活躍。


(かじわらかげとき)梶原景時
平安時代末期の政治家。はじめ平家方に属していたが、石橋山の戦いで敗れて洞窟に隠れていた源頼朝を見逃して頼朝の信頼を得、のちにその第一の腹心となった。源義経に属し平家討伐に活躍。


(ほうじょうときむね)北条時宗
鎌倉時代中期の政治家。得宗家(執権北条家本家)に生まれる。元寇の脅威が迫る中、執権となる。二月騒動でライバルとなる北条一族を粛清。2度の元寇を退けて国難を救ったが、間もなくして病死した。


(あしかがたかうじ)足利尊氏
室町幕府初代征夷大将軍。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒のため挙兵すると、幕府の討伐軍司令官に任じられたが、寝返って六波羅探題を攻撃した。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇を追放し、北朝を立てた。


(くすのきまさしげ)楠木正成
南北朝時代の武将。「悪党」と呼ばれた河内の豪族。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒のため挙兵すると蜂起。幕府の大軍を翻弄して倒幕の気運を盛り上げ、ついに鎌倉幕府は滅びるに至った。


(よしだけんこう)吉田兼好
鎌倉時代末期から南北朝時代の思想家。随筆家として有名で、鎌倉時代末期、「つれづれなるままに」の始まりで有名な、日本三大随筆の一『徒然草』を著した。また歌人としても優れていた。

 81-100  

(あしかがよしみつ)足利義満
室町幕府3代将軍。室町幕府最盛期を築く。有力守護大名討伐や直属軍・奉公衆の設置などで幕府権力を強化し、南北朝の合一を果たす。また鹿苑寺金閣を建て、武家と公家が融合した北山文化を花開かせた。


(あしかがよしまさ)足利義政
室町幕府8代征夷大将軍。将軍の復権を目指して精力的に動いたが、側近や有力守護大名の介入などで軋轢が生じ、応仁の乱が発生。世は戦国時代へと突入した。「東山文化」と呼ばれる様式を築く。


(ひのとみこ)日野富子
室町時代後期の女性。室町幕府8代将軍・足利義政の正室。父は日野重政、母は北小路禅尼。後継ぎの男子が生まれず、弟の義視を後継者に立てたが、のち義尚が生まれたことで、応仁の乱が勃発する。


(いっきゅう)一休
室町時代中期の仏僧。臨済宗大徳寺派住持。カラスの鳴き声を聞いて大悟する。皇室とも関係が深かった民衆にも愛され、「このはしわたるべからず」などの一休とんち話が生まれた。


(ぜあみ)世阿弥
室町時代初期の思想家。猿楽師。父・観阿弥と共に猿楽(のちの能楽)を大成させ、観世流を興した。12歳の時、その美しさが時の将軍・足利義満の目にとまり、厚い庇護を受ける。


(たまものまえ)玉藻前
平安時代末期の伝説上の美女。白面金毛九尾の狐が化けた姿で、美貌と博識から鳥羽上皇に寵愛される。上皇が病に倒れたことで、陰陽師・安倍泰成は玉藻前の正体を看破。討伐軍によって射殺された。


(きいちほうげん)鬼一法眼
平安時代末期の教育者。陰陽師。剣術家。すべての剣術の源流である京八流の開祖。兵法書『六韜』を所持しており、それを会得したいと臨んだ源義経は、法眼の娘を籠絡して『六韜』を盗み見たという。


(しゅんてん)舜天
13世紀初期の伝説的な琉球王。初代琉球国王。浦添の按司(領主)だったが、天から遣わされた神の子孫の王朝・天孫氏を滅ぼした利勇を討伐して琉球を統一し、舜天王統を開いた。


(みなもとのよりまさ)源頼政
平安時代末期の武将。頼光の玄孫。妖怪・鵺(ぬえ)を退治した伝説がある。平治の乱では、仕えていた二条天皇が源義朝側にいたため源氏側に属したが、天皇が平清盛側に味方すると共に寝返る。


(うんけい)運慶
鎌倉時代初期の芸術家。仏像彫刻家。快慶と並ぶ鎌倉時代の仏師の代表。奈良興福寺の仏師の流れを汲む。男性的な力強い作風が特徴で、武士の間で人気があった。


(ささきどうよ)佐々木導誉
鎌倉末期から南北朝時代の政治家。幕府執権北条高時の側近だったが、のち足利尊氏に従い倒幕に活躍。南北朝の動乱、政争をしたたかに生き抜き、室町幕府2代将軍・足利義詮の時代には政所執事を務めた。


(にったよしさだ)新田義貞
鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。源義家の子孫の出だが上野国で冷や飯を食わされていた。執権北条家御内人からのいじめともいうべき徴税に怒り、挙兵。稲村ヶ崎で太刀を龍神に捧げて海から鎌倉を攻略、幕府を滅ぼす。


(せっしゅう)雪舟
室町時代中期の芸術家。禅僧。水墨画家。作庭家。周防の守護大名・大内氏の庇護を受け、明へ渡り、水墨画を学ぶ。雪舟独自の画風を確立し、後世の日本画に大きな影響を与えた。


(ももたろう)桃太郎
昔話に登場する人物。桃から生まれたとされるほか、桃を食べて若返った老夫婦の実子とされることもある。出典によって内容は様々だが、犬、猿、キジにキビ団子を与えて家臣とし、鬼ヶ島で鬼退治に成功、財宝を得て帰還したとする話が一般的。


(いっすんぼうし)一寸法師
室町時代後期に成立の『御伽草子』の登場人物。身長が1寸(約3cm)だった。お椀の舟に箸のかいで京に上り、針の刀で姫君を襲った鬼を撃退。その鬼の宝である打出の小槌で6尺(約180cm)に成長し、姫君と結婚。


(ときわごぜん)常盤御前
平安時代末期の女性。源義朝の側室。阿野全成(今若)、義円(乙若)、源義経(牛若)の母。平治の乱で義朝が敗死すると、三児の助命のため、自らの命を捨てる覚悟で六波羅に出頭。


(みなもとのためとも)源為朝
平安時代末期の武将。源頼朝らの叔父。最強の射手。弓を引くのに特化した腕は左腕が右腕より12cm長かった。その破壊力は一矢で軍艦を沈め、その射程距離は伊豆七島から射て鎌倉まで届くほどだった。


(あのやすこ)阿野廉子
鎌倉時代後期から室町時代初期の女性。新待賢門院、三位局とも呼ばれる。中宮・西園寺禧子の女官であったが、禧子を差し置いて後醍醐天皇に寵愛され、後村上天皇を生んだ。


(もうりもとなり)毛利元就
戦国時代の武将。謀神の異名を取る知略の持ち主で、安芸国の小領主から、200以上という世界でもまれに見る数の合戦を経て、中国地方の大半を支配する大大名に成り上がった。


(たけだしんげん)武田信玄
戦国時代の武将。甲斐の戦国大名。戦国最強といわれる武田騎馬軍団を率いて、信濃、上野、駿河、遠江に勢力を伸ばし、越後の戦国大名・上杉謙信と川中島で五度に及ぶ合戦を繰り広げた。

 101-120  

(うえすぎけんしん)上杉謙信
戦国時代の武将。越後の戦国大名。毘沙門天の化身と呼ばれる戦術家。内乱状態だった越後を統一し、上野、越中、能登に勢力を伸ばした。甲斐の戦国大名・武田信玄とは信濃を巡って対立し、五度に渡って川中島で決戦を繰り広げた。


(やまもとかんすけ)山本勘助
戦国時代の武将。武田信玄の伝説的軍師。信濃攻略に活躍。信濃の大名・村上義清の逆襲で武田軍が総崩れになると、「破軍建返し」で反撃、勝利した。分国法「甲州法度之次第」制定を献策。


(なおえかねつぐ)直江兼続
安土桃山時代の武将。上杉氏の家老。上杉景勝の側近として権力を振るい、死ぬまで上杉家で独裁政権を敷いていた。家中の争乱で疲弊していた上杉家を建て直し繁栄に導いた。


(おだのぶなが)織田信長
戦国時代から安土桃山時代の武将。尾張国の小大名家に生まれる。中京地域の経済圏を掌握し、その経済力を背景に近畿地方へと勢力を拡大。将軍を追放して室町幕府を滅ぼした。


(さいとうどうさん)斎藤道三
戦国時代の武将。下克上の体現者。僧侶から油売りとなり、その後、武士となり、美濃国の大名家・土岐家の内紛で活躍して出世。最後には土岐家を追放して、一台で大名に成り上がったという。


(あけちみつひで)明智光秀
戦国時代から安土桃山時代の武将。織田信長の家臣だったが謀反を起こし、本能寺の変で主君・信長を討ち果たす。その後、畿内の支配を進めたが、山崎の戦いで信長家臣・羽柴秀吉に敗北。


(のうひめ)濃姫
戦国時代の大名・斎藤道三の娘。名は帰蝶。美濃出身であるため、「濃姫」と呼ばれた。斎藤家と織田家が同盟した際、織田信長に嫁ぎ、道三死後、信長が斎藤領を攻略する大義名分の役割を担った。


(おいち)お市
戦国時代の女性。織田信長が最も可愛がった妹。戦国一の美女と名高い。一説に従妹とも妻だともいう。茶々、江は娘。信長の娘として他家に嫁いだが、嫁ぎ先が突然裏切り、信長に滅ぼされる。


まつ
戦国時代の女性。織田信長が最も可愛がった妹。戦国一の美女と名高い。一説に従妹とも妻だともいう。茶々、江は娘。信長の娘として他家に嫁いだが、嫁ぎ先が突然裏切り、信長に滅ぼされる。


(まえだけいじ)前田慶次
戦国時代から安土桃山時代の武将。いたずら者として有名で、叔父・前田利家をだまして水風呂に入れたり、豊臣秀吉の前で猿まねの踊りをやったりした。一方で勇将としても知られた。


(とよとみひでよし)豊臣秀吉
安土桃山時代の政治家。織田信長の草履取りだったが、草履を懐で暖めて歓心を買い、墨俣に一夜で城を建て、絶体絶命の死地でしんがりを買って出るなどして出世。信長が明智光秀の謀反に倒れると、仇を討って天下人となり、天下統一した。


ねね
戦国時代から安土桃山時代の女性。豊臣秀吉の正妻。夫の出世を支えた。14歳の時、同じ長屋に住む藤吉郎(秀吉)と結婚。当時としては珍しい恋愛結婚だったという。秀吉の関白就任後は北政所と呼ばれた。


(ちゃちゃ)茶々
安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけての女性。淀殿、淀君とも呼ばれる。長身で美貌の持ち主であったという。豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生んだ。秀吉の死後は豊臣家の実権を握る。


(いしだみつなり)石田三成
安土桃山時代の武将。天下を統一した豊臣秀吉に懐刀として仕え、多方面に活躍。大変な権勢を振るい、大大名にも恐れられた。秀吉の死後、徳川家康と対立。関ヶ原で天下分け目の決戦を挑んだ。


(せんのりきゅう)千利休
安土桃山時代の政治家。堺の商人。茶人。侘茶の大成者で「茶聖」と称される。豊臣秀吉政権下で権力を握るが、のち秀吉と対立し切腹。堂々とした人物で彼の威には歴戦の将も臆したという。


(だてまさむね)伊達政宗
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。隻眼で独眼竜の異名を取る。米沢城に生まれ、敵対する大名と戦って周辺に勢力を伸ばし、東北地方の最大勢力となったが、時すでに遅く天下人・豊臣秀吉に屈服。その死後は江戸幕府を開いた徳川家康に従った。


(さなだゆきむら)真田幸村
江戸時代初期の武将。信濃国の小大名の子。関ヶ原の戦いでは、父・昌幸と共に西軍へ味方して敗れ、牢人となる。九度山に籠もっていたが、豊臣と徳川の関係が悪化すると、大坂城に入り、豊臣軍に味方して奮戦。徳川家康を一時的に追い詰めるほどの活躍を見せた。


(ほんだただかつ)本多忠勝
戦国時代の武将。三河国の大名・徳川家康の家臣で、その四天王の一人に数えられる「日本第一」「古今独歩の壮士」「天下無双」と讃えられた。多くの戦に出たが、生涯、傷一つ負わなかったという。


(はっとりはんぞう)服部半蔵
戦国時代から江戸時代末期の武将。伊賀出身で、足利将軍家、のちに徳川家に仕えた服部一族の当主が代々「半蔵」を称した。れっきとした武士であり、伊賀出身者の部隊「伊賀同心」を任されていた。


(さるとびさすけ)猿飛佐助
江戸時代初期の忍者。真田十勇士の一人。明治時代に、軍記物『真田三代記』を元にした講談でその名が登場し、その後『立川文庫』で活躍が描かれて人気を博した。

 121-140  

(みやもとむさし)宮本武蔵
江戸時代初期の武士、思想家。剣の名人で日本無双を名乗り、二天一流を使った。佐々木小次郎との巌流島の戦いが有名。13才から60余度決闘し、すべてに勝利したという。


(いずものおくに)出雲阿国
歌舞伎の創始者。阿国一座は出雲大社の本殿修理費を勧進するため諸国を巡る。男装して傾奇者を演じる「かぶき踊り」を始める。この踊りが大評判となり、阿国の名は全国に知れ渡った。


(つかはらぼくでん)塚原卜伝
戦国時代の武将。剣豪。鹿島新当流の開祖。常陸国出身。39度合戦に出陣し無傷。200人を越える剣士を斬って捨て、剣聖と呼ばれた。弟子には、新陰流を開いた上泉信綱など、剣豪も多い。


(かみいずみのぶつな)上泉信綱
戦国時代の武将。剣聖と呼ばれる剣術家。陰流を学び、新陰流を創始した。上野国厩橋出身。全国を旅し新陰流を広め、柳生石舟斎(宗矩の父)らにその技を伝えた。


(かのうえいとく)狩野永徳
安土桃山時代の芸術家。絵師。狩野派の4代目。細かい筆致で精密な細画もよくしたが、諸侯が必ず邸宅に永徳の絵を求めたほどの人気だったため、数をこなすためか豪放な筆致で迫力のある大画が多く残された。


(ごとうまたべえ)後藤又兵衛
戦国時代末期から江戸時代初期の武将。兵庫県出身。関ヶ原の合戦で石田三成配下の槍の名人を討ち取るなど名の知れた武士で、交友関係も広かった。のち大坂の陣に豊臣方として参戦。


(いしかわごえもん)石川五右衛門
安土桃山時代の盗賊。時の天下人・豊臣秀吉の手の者に捕らわれ、母親や同罪の盗賊と共に釜ゆでの刑に処された。圧政者となった晩年の秀吉に反抗した姿が共感を呼び、のちに権力と戦う義賊として、創作の対象となる。


(さいかのまごいち)雑賀孫市
戦国時代の武将。紀州雑賀を拠点とした鉄砲傭兵集団・雑賀衆の頭領。「孫市」は鈴木氏が代々用いた通称。石山合戦では石山本願寺に味方して織田信長を苦しめ、本願寺顕如からも頼りにされた。


(ふうまこたろう)風魔小太郎
戦国時代、北条早雲のころから小田原北条家に仕え、足柄を根拠地として活躍した忍者・風魔一族の頭領が、代々この名を名乗った。敵陣に忍び込んで大暴れし、敵を攪乱する戦術を得意とする。


(ささきこじろう)佐々木小次郎
安土桃山時代から江戸初期の武士。長剣「物干し竿」を自在に操り、必殺技「燕返し」を使う剣客。宮本武蔵との決闘で敗れ死亡。その決闘の地は彼の号「巌流」から巌流島と呼ばれた。


(ししどばいけん)宍戸梅軒
吉川英治の小説『宮本武蔵』の登場人物。江戸時代初期の犯罪者。伊賀出身。野盗の頭目で自ら編み出した「宍戸八重垣流」の鎖鎌の達人。物語前半の宮本武蔵の大きな敵で、鎖鎌で武蔵を翻弄した。


(ほうぞういんいんえい)宝蔵院胤栄
戦国時代から安土桃山時代の武術家。奈良興福寺の仏僧。僧兵。槍の名人。若い頃から武芸を好み、柳生宗矩の父・柳生宗厳と共に剣聖・上泉信綱に新陰流を学んだ。


(ほそかわがらしゃ)細川ガラシャ
安土桃山時代の女性。明智光秀の娘。光秀が本能寺の変で謀反し、3日天下の後、敗死すると、夫・細川忠興により軟禁監視下に置かれた。忠興が九州に出兵した隙に受洗してキリスト教徒となる。


(ほんがんじけんにょ)本願寺顕如
戦国時代の仏僧。浄土真宗の開祖・親鸞の子孫で、本願寺第11世。公家、大名との姻戚関係を強め、大きな影響力を持った。織田信長の圧迫に耐え兼ねて蜂起し、信長包囲網の一角を担った。


(ほうじょうそううん)北条早雲
戦国時代の武将。伝説では、牢人仲間6人と大名になろうと誓いをかわして東国を目指し、今川家に仕官。今川家の御家騒動を収め、今川家の後援で関東を知略で切り取り、ついに大名になったとされる。


(おおたどうかん)太田道灌
室町時代後期の武将。関東の名門・上杉家の軍師。当時関東を二分していた関東公方との争いに活躍。江戸城を築き、足軽軍法という歩兵集団戦術を駆使して、上杉軍を勝利に導いた。


(とくがわいえやす)徳川家康
江戸幕府初代征夷大将軍。天下人・織田信長、豊臣秀吉の盟友として勢力を伸ばす。豊臣秀吉死後、関ヶ原の戦い、大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、戦国時代を終焉させ、江戸幕府250年余の泰平をもたらした。


(てんかい)天海
戦国時代から江戸時代初期の政治家。天台宗の仏僧。前半生は不明。徳川家康が関東入りすると、その参謀として、宗教、朝廷対策に活躍する。没後の家康を東照大権現として日光に祭った。


(せんひめ)千姫
江戸時代初期の女性。徳川秀忠と江の長女。家光の姉。徳川家と豊臣家の友好のため、江の姉・茶々の子・豊臣秀頼に嫁ぐが、大坂の陣で豊臣家は滅亡、秀頼は自害。千姫は大坂城から救出された。


(ごう)江
江戸時代初期の女性。数奇な運命に翻弄された浅井三姉妹の末妹。父と母・市を戦乱の中に亡くす。姉・茶々は義父を滅ぼした豊臣秀吉の側室となり、江は秀吉の政敵・徳川家康の息子・秀忠の妻となる。

 141-160  

(とくがわいえみつ)徳川家光
江戸幕府3代征夷大将軍。幼少時は内向的で容姿も優れず、弟を将軍にすべきとの声も出ていたが、乳母・春日局の訴えにより祖父・徳川家康に認められ、将軍の座に就く。


(かすがのつぼね)春日局
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。父は明智光秀の重臣、母は光秀の妹。稲葉正成に嫁いだが、徳川家光の乳母となるため離縁。家光が3代将軍となると、家光のため江戸城大奥を整備した。


(みとみつくに)水戸光圀
江戸時代前期の政治家。第2代水戸藩主。徳川家康の孫。名君として知られ、そのイメージから諸国を漫遊して悪人を懲らしめる天下の副将軍・水戸黄門のイメージができあがった。


(とくがわよしむね)徳川吉宗
江戸時代中期の政治家。紀州徳川家の出だが反新井白石派の後押しで江戸幕府8代将軍となる。財政安定化と事務決済の迅速化を目指して享保の改革を行った江戸幕府中興の祖。


(おおおかえちぜん)大岡越前
江戸時代中期の政治家。名奉行として知られる。8代将軍・徳川吉宗の下、江戸町奉行として享保の改革を支えた。庶民の人気が高く、後世「三方一両損」などの大岡裁きの物語が作られた。


(とおやまきんしろう)遠山金四郎
江戸時代後期の政治家。江戸北町奉行。時の老中・水野忠邦による天保の改革で行われていた人返し令、過度の倹約令や贅沢禁止令に反対し、芝居小屋などの文化を保護した


(あまくさしろう)天草四郎
江戸時代初期の武将。島原の乱の指導者とされた少年。神童として崇められ、盲目の少女に触れて視力を回復させるなどの奇跡を起こしたという伝説がある。


(やぎゅうじゅうべえ)柳生十兵衛
江戸時代前期の武将。宗矩の長男。新陰流の剣術家。将軍・徳川家光の剣術指南役を務めたが、役を解かれて諸国を流浪する。これが後世、創作の対象となり、様々な活躍をする独眼の剣士像が形作られた。


(おおいしくらのすけ)大石内蔵助
江戸時代前期の政治家。兵庫県の赤穂藩筆頭家老。赤穂浪士47人を率いて吉良屋敷に討ち入り、見事主君の仇を取った。これが世人の喝采を浴び、後に芝居『忠臣蔵』となった。


(ひらがげんない)平賀源内
江戸時代中期の蘭学者。様々な方面で活躍。日本初の油絵を描き、静電気発生装置「エレキテル」を紹介。浮世絵師・鈴木春信と多色刷の技法を開発。考案した広告から土用の丑の日に鰻を食べる習慣を作った。


(とうしゅうさいしゃらく)東洲斎写楽
江戸時代中期の浮世絵師。10カ月という短期間に大量の作品を残し、忽然と浮世絵界から姿を消した謎の絵師。強烈で印象的な画風が特徴。役者の特徴をシワや受け口のような欠点まで描ききった。


(かつしかほくさい)葛飾北斎
江戸時代後期の芸術家。浮世絵師。『冨嶽三十六景』、『北斎漫画』、信州小布施肉筆画祭屋台天井絵の『怒涛図』、滝沢馬琴の『椿説弓張月』など読本の挿絵、『蛸と海女』など生涯3万点を越える作品を発表。


(まつおばしょう)松尾芭蕉
江戸時代前期の芸術家。俳諧師。作為を排し自然体を旨とし、芸術性を高めた「蕉風」と呼ばれる形式を確立した。全国を漂泊し『おくのほそ道』などの紀行文を残す。


(ねずみこぞう)鼠小僧
江戸時代後期の犯罪者。大名屋敷のみを狙う窃盗犯で、賭博の金欲しさに犯行を繰り返し被害総額は三千両に及んだという。武士の面子を潰したため、市中引き回しの上獄門という重い刑を下された。


(ふせひめ)伏姫
室町時代後期の関東を舞台とした『南総里見八犬伝』の登場人物。飼い犬の八房と共に山に入る。やがて八房の気を受け、八人の子の種子を宿したと聞くと、割腹。八犬士の球が全国各地へと飛散した。


(おいわ)お岩
江戸時代初期の女性。御家人・田宮又左衛門の娘。牢人の伊右衛門を婿養子に迎える。しかし伊右衛門にだまされ、怨霊となって次々に縁者を呪い殺していく。この事件は四谷怪談として様々な形で語り継がれている。


シャクシャイン
江戸時代前期の人物。北海道日高のアイヌの首長。不当な取引を強要されていた不満もあって、アイヌは大同団結して蜂起。和人数百人を殺害した。


(やぎゅうむねのり)柳生宗矩
江戸時代初期の武将。剣術家、思想家、教育家。大和国出身。子に柳生十兵衛がいる。柳生新陰流を将軍家御流儀とし、流派を隆盛させた。また3代将軍・徳川家光の指南役としてその教育に当たった。


(あらいはくせき)新井白石
江戸時代前期の政治家。6代将軍・徳川家宣に用いられて幕府運営に参画。前将軍・綱吉の代に発生した問題の解決政策「正徳の治」を行う。生類憐みの令を廃止。金銀の海外流出を防ぐため長崎貿易を縮小。


(かさもりおせん)笠森お仙
江戸時代後期の女性。アイドル。江戸谷中笠森稲荷門前の水茶屋・鍵屋の看板娘。浮世絵師・鈴木春信のモデルとなり、江戸中で人気を博した。銀杏お藤、蔦屋お芳と並んで明和三美人と呼ばれた。

 161-180  

(だいこくやこうだゆう)大黒屋光太夫
江戸時代後期の船頭。伊勢国出身。江戸に向かう途中嵐に遭い漂流。ロシア人に助けられる。時のロシア女帝・エカチェリーナ2世に謁見、許しを得、10年のロシア生活を経て帰国した。


(らいでんためえもん)雷電爲右エ門
江戸時代中期の力士。大相撲史上最強とされる。信濃国出身。本場所36場所に出場し優勝が28回。その間、黒星は10のみ。勝率は史上1位の9割6分2厘で、さらに9連続優勝の記録を持つ。


(にのみやそんとく)二宮尊徳
江戸時代後期の農政家。薪を背負い本を読む二宮金次郎像こそ少年時の尊徳である。小田原の地主の子に生まれる。水害により田畑が壊滅したのを「報徳思想」に基づき再建。


(くにさだちゅうじ)国定忠治
江戸時代後期の侠客。赤城を中心に上野、信濃にわたる地域を実質支配した。その地域は「盗区」と呼ばれ、忠次を取り締まる側の幕府の役人から治安の良さを絶賛されている。


(じらいや)児雷也
江戸時代後期に刊行された読本の登場人物。初出の表記は自来也。天下征服を狙う妖賊・大蛇丸に父を殺された児雷也は、同じ境遇の少女・綱手と共に、仙素道人に師事。


(ゆいしょうせつ)由井正雪
江戸時代前期の思想家。楠木流軍学者。当時3代将軍・徳川家光までの大名家取りつぶし政策により、牢人が増え社会不安が増大していた。家光の死を機に、蜂起を企んだが密告により露見し、自刃した。


(よしのだゆう)吉野太夫
江戸時代初期の太夫(遊女、芸妓の最高位のこと)。京の花街・六条三筋町「七人衆」の筆頭で、夕霧太夫、高尾太夫とともに寛永三名妓といわれる。和歌、琴、茶道など、様々な芸事を極めた才女。


(けいしょういん)桂昌院
江戸時代初期の女性。5代将軍・徳川綱吉の母。名は玉。江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室のお万の方に仕えていたが、家光に見初められ側室となる。綱吉を生んで大奥の実権を握るに至った。


(さかもとりょうま)坂本龍馬
江戸時代末期の武士。土佐藩の郷士出身。商社・亀山社中(のちの海援隊)を組織した。明治維新の大方針となる「船中八策」を発案、大政奉還を成し遂げたが、維新前年、京・近江屋で暗殺された。


おりょう
江戸時代末期から明治時代の女性。坂本龍馬の妻。名前に龍の字が入っているのが出会いのきっかけだったという。寺田屋事件では入浴中に囲まれているのに気づき、裸で龍馬を逃がして命を救った。


(さかもとおとめ)坂本乙女
幕末から明治時代の女性。土佐藩郷士の娘で坂本龍馬の姉。剣術・馬術、琴・三味線など文武両道に秀でていた。大柄な女性で「お仁王様」と呼ばれていた。母没後、龍馬の母代わりを務めた。


(なかおかしんたろう)中岡慎太郎
江戸時代末期の武士。幕末の志士。陸援隊隊長。土佐で郷士身分の大庄屋に生まれる。学問と剣術を修めたのち政治活動を開始。薩長同盟を結実させ、また薩土倒幕の密約を成立させた。


(かつかいしゅう)勝海舟
江戸時代末期から明治時代初期の政治家。幕臣。戊辰戦争時、新政府軍が江戸に迫ると、内乱の長期化と国家分裂を危ぶみ、早期停戦と江戸城の無血開城を主張。江戸城の無血開城を成し遂げた。


(たかすぎしんさく)高杉晋作
江戸時代末期の武士。長州藩士。吉田松陰の松下村塾に学んだ幕末の志士。下関戦争の後、奇兵隊を創設。藩政を握り幕府の長州征伐軍を撃退。倒幕の気運を高めた。


(いわさきやたろう)岩崎弥太郎
明治時代初期の実業家。三菱財閥の創始者にして初代総帥。土佐藩出身。明治維新後は政商として暗躍。台湾出兵、西南戦争などの軍事輸送を引き受けて利益を上げ、明治政府の発展にも大きく寄与した。


(ちばさなこ)千葉さな子
幕末から明治時代にかけての女性。北辰一刀流創始者・千葉周作の姪。江戸に剣術修行に来ていた坂本龍馬と知り合って恋仲となり婚約。やがて龍馬とは疎遠になるが、龍馬が暗殺されたあとも慕い続けていたという。


(こんどういさみ)近藤勇
江戸時代末期の武士。新撰組局長。京の尊皇攘夷志士を取り締まった。新政府軍が江戸に迫ると、迎撃に向かうが、これは近藤ら抗戦派を排除したい勝海舟ら和平派の罠で、衆寡敵せず敗退。


(ひじかたとしぞう)土方歳三
江戸時代末期の武士。新撰組副長。冷静な判断力で実質的に新撰組を指揮していた。厳格な局中法度で隊士を律し、背く者には切腹、斬刑で臨んだ。戊辰戦争では幕府軍の指揮官として活躍。


(おきたそうじ)沖田総司
江戸時代末期の剣術家。新撰組一番隊組長。剣の名手で、天然理心流を使い、撃剣師範を務める。剣術道場・試衛館に入門し、近藤勇や土方歳三と知り合い、彼らの新撰組結成に従う。


(さいとうはじめ)斎藤一
江戸時代末期の武士。新撰組三番隊組長。剣の名手で、「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と評された。新撰組内部の粛清や伊東甲子太郎の御陵衛士潜入に活躍。

 181-200  

(さいごうたかもり)西郷隆盛
江戸時代末期から明治時代の政治家。維新の三傑の一人。薩摩藩の下級武士の出。禁門の変後、薩長同盟、王政復古、戊辰戦争に活躍。幕臣・勝海舟と会談し江戸城無血開城を成し遂げた。


(かつらこごろう)桂小五郎
江戸時代末期から明治時代初期の政治家。のち木戸孝允と名乗る。尊王攘夷論者で、西郷隆盛、大久保利通と並んで「維新の三傑」と呼ばれた。


(おおくぼとしみち)大久保利通
江戸幕府末期から明治時代の政治家。西郷隆盛、桂小五郎と並んで維新三傑と呼ばれる。王政復古のクーデターを実行し、盟友・西郷と共に江戸幕府を滅ぼした。現代日本の官僚制の基を築いた。


(とくがわよしのぶ)徳川慶喜
江戸幕府最後の征夷大将軍。水戸藩の徳川斉昭の子として生まれ一橋家に養子に入る。英邁をもって幕政改革を断行、老中たちに推される形で15代将軍に就任した。大政奉還を行った。


(えのもとたけあき)榎本武揚
明治時代の政治家。幕臣。ジョン万次郎に英語を学び、オランダに留学して蘭学を修め、帰国後、徳川家の海軍副総裁となる。大政奉還後も軍艦・開陽を旗艦とする艦隊を率いて新政府に抵抗した。


(あつひめ)篤姫
江戸幕府13代将軍・徳川家定の正室。島津家の分家に生まれる。徳川家に嫁いだが、2年弱で家定が急逝。出家して、天璋院と号する。大政奉還後、戊申戦争などで徳川家が危機に陥ると、朝廷や島津家に働きかけて徳川家存続のため尽力した。


(しみずのじろちょう)清水次郎長
江戸時代末期の侠客、明治時代の実業家。駿河国出身。抗争を繰りかえし、東海圏を勢力下に収める。江戸城無血開城交渉のため、新政府軍の西郷隆盛と談判に行く幕臣・山岡鉄舟の護衛を務めた。


(よしだしょういん)吉田松陰
江戸時代末期の思想家。明治維新の精神的指導者。長州藩士。阿片戦争に衝撃を受け、佐久間象山に西洋兵学を学ぶ。松下村塾で高杉晋作ら志士を育てた。


(いいなおすけ)井伊直弼
江戸時代末期の政治家。開国策を推し進め、朝廷の許しなく日米修好通商条約を結ぶ。これが尊王攘夷派の反発を招き、朝廷からも政治介入を受けることとなる。桜田門外の変で攘夷派の襲撃を受け暗殺された。


(にいじまやえ)新島八重
江戸時代末期から昭和初期の女性。同志社の創立者・新島襄の妻。会津藩の砲術指南役の家に生まれる。会津戦争の際には洋式銃を手に奮戦した。戦後、兄を頼って京に上り、日本最古の女学校・女紅場の教職に就く。


(なかのたけこ)中野竹子
会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女。幼少より、薙刀や書道に親しむ。幕府軍が鳥羽伏見の戦いに敗れたのを機に会津へ帰国。薙刀の師匠・赤岡大助の養女となり、道場の師範代を務めた。


(じょんまんじろう)ジョン万次郎
江戸時代末期の教育者。土佐国中濱の出身。漁に出て嵐に遭い、漂流して助けられアメリカに渡る。英語、測量、造船、航海術などを学び帰国。陰ながら助言するなどして日米和親条約締結に尽力した。


(おかだいぞう)岡田以蔵
江戸時代末期の武士。土佐藩の郷士。武市瑞山に師事し、土佐勤王党に加盟。敵視した人物を次々と暗殺したため「天誅の名人」と称され、後世「人斬り以蔵」と呼ばれた。


(やまおかてっしゅう)山岡鉄舟
江戸時代末期の武士。剣豪・塚原卜伝の子孫で剣の名手。新陰流、北辰一刀流の使い手。書、禅にも達していた。西郷と勝海舟の会談の前に単身、西郷と談合。江戸無血開城を成し遂げた。


(たかはしでいしゅう)高橋泥舟
江戸時代末期の武士。幕臣。槍の名人。勝舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれる。15代将軍・徳川慶喜に気に入られており、慶喜に無血開城を説いた。明治維新後は、官に就かず隠棲した。


(たなかひさしげ)田中久重
江戸時代末期から明治時代初期の発明家。筑後国久留米出身。「東洋のエジソン」と呼ばれた。「からくり儀右衛門」の異名が有名。芝浦製作所(のちの東芝)の創業者。


(くさかげんずい)久坂玄瑞
江戸時代末期の武士。吉田松陰の義弟。尊皇攘夷論者で、公武合体論者の長井雅楽を排し切腹に追い込み、長州藩を尊王攘夷論で主導した。『廻瀾條議』『解腕痴言』などを著し攘夷論を鼓舞。


(おがたこうあん)緒方洪庵
江戸時代末期の蘭学者、医師。日本近代医学の祖。日本に種痘法を導入し、天然痘の治療に献身した。大阪に適塾を開き、幕末から明治維新にかけて活躍した人物を多く輩出した。


(おとせ)お登勢
江戸時代末期から明治時代初期の女性。伏見の船宿・寺田屋の女将。放蕩者の夫が若くして亡くなると、一人で経営を取り仕切った。生来、世話好きな性格で、幕府が危険視する勤王志士たちを度々かくまう。


(ちばしゅうさく)千葉周作
江戸時代後期の武士。剣術家。北辰一刀流を興した。その道場「玄武館」は幕末江戸三大道場に数えられ「力の斎藤」の練兵館、「位の桃井」の士学館と並んで、千葉の玄武館は「技の千葉」と称された。

 

 


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